スピリチュアルに頼って「自分と向き合ったつもり」になっていないか?
「自分と向き合うことが大切」
この言葉は、いまや特別なものではなく・・・
本、メディア、SNS、セミナーなどあらゆる場所で目にするようになりました。
それと同時に、私が感じたことは・・・
自分と向き合う=スピリチュアルなこと
というイメージが、いつの間にか定着している人が増えている気がするのです🤔
たとえば、
自分と向き合うために・・・
・瞑想する
・エネルギーを整える
・ハイヤーセルフなどからメッセージを受け取る
など・・・
それらを通じて、「自分と向き合った感覚」が得られることもあるでしょう。
しかし、その一方で・・・
スピリチュアルな知識を学んだり、「気づき」は増えたはずなのに・・・特に現実は変わらない。
そんな違和感を抱えている人もよく見かけます。
なぜ「自分と向き合う=スピリチュアル」になりやすいのか
「自分と向き合う」=「スピリチュアル」に結びつけやすい理由のひとつとして・・・
そもそも「自分と向き合う」という言葉自体が、抽象的だから・・・ということがあげられます。
抽象的がゆえに・・・
- 「何」をすれば、向き合ったことになるのか?
- 「どこまで」やれば、十分なのか?
- 「何」が、正解なのか?
これらの「基準」が曖昧なため、
抽象的な世界観持つ「スピリチュアル」に結びつきやすくなるのかもしれません。
結果として、
「自分と向きあう」=目に見えない=スピリチュアル
という「感覚的」な部分が先行することも・・・。
スピリチュアルに頼ることで起きやすい「すり替え」
ここで大事なのは、
スピリチュアルそのものを否定することではありません。
問題になりやすいのは、
向き合う対象が、少しずつズレていくことです。
たとえば、
- 現実でうまくいかない理由を・・・
「エネルギー」「タイミング」「課題」などに置き換える - 違和感を感じる相手との関係を・・・
「学び」「意味があること」でまとめてしまう
このような要素は確かにあるにせよ・・・
それと同時に、現実に対して
- 自分が何を考え
- 何を選び
- 何を避けているのか
・・・という、「現実的な部分」を見る機会を減らしてしまうこともあります。
その結果、
スピリチュアルに頼って
「自分と向き合ったつもり」になっていないか?
スピリチュアルに頼ることで、「自分と向き合ったつもり」になっている・・・
という状態が生まれやすくなります。
「自分と向き合う」とは?
「自分と向き合う」ことをスピリチュアルな方向に傾きすぎると・・・
・カルマ
・使命や人生の目的
・エネルギー
・・・という部分に目がいきがちになり、
ひとつひとつそれに「スピリチュアルっぽい意味づけ」をする様子が見られます。
実際、私も見たことがありますが・・・
・自分の前世はなんだったのか?→〇〇だったから、今こうなってるんだ
・今世での使命は△△だから、~しなければならない
・波動を上げれば、自分と向き合うためのメッセージを受け取れるようになる
こんな風に考えることで、現実的にはなにひとつ自分と向き合っていない状態でも・・・
なんだか「自分と向き合えている気になる」のです。
実際は、たとえ
前世を知ろうとも・・・
使命がなんであろうとも・・・
メッセージを受け取ろうとも・・・
意識がそちらにばかり向いているのであれば、自分と向き合うことからは離れていってるのが現実です。
自分と向き合うという作業は・・・
必ずしも前向きで心地よい作業とは限りません。
むしろ多くの場合、
- 自分にとって都合の悪い感情
- 繰り返している思考のクセ
- 無意識に選んできた行動
これらを、ジャッジせずに客観的に見ていく作業とも言えます。
ここが抜けたまま、
「自分と向き合っているつもり」だけを重ねていくと・・・現実との距離が少しずつ広がっていきます。
「気づき」があっても、現実が動かない理由
よくあるのが、
- なるほど、そういうことか!
- 腑に落ちた気がする
- 理解できた感覚がある
ここで止まってしまうケースです。
なにかに「気づくこと」自体はとても大切ですが、
日常の小さな選択から・・・人間関係、仕事、恋愛など様々な場面で
それがどんなふうに現状に影響を及ぼしているのか?
ここまで見ていかないと、現実はほとんど変わりません。
「自分と向き合う」とは、感覚的に「わかった気がする」ことではなく、
自分の思考や行動を注意深く観察し、思考や行動のクセに気づいていくこと。
本当の意味で「自分をよく知る」ことです。
自分と向き合っても、特になにも変わらない人の特徴
「向き合っているはずなのに、なにも変わらない」
そう感じる人には、共通する傾向があります。
- 「正解」を出そうとする
- 「こうあるべき」だという思い込みが強い
- ひとつひとつ「ジャッジ」してしまう
これだと、本人は「向き合っているつもり」でも、実際は向き合えていないことも多い。
自分と向き合うことは、「現実を見ない」ことではない
自分と向き合うというと、
「内側に深く入っていく」イメージを持つ人もいます。
だから、よくわからないまま・・・
「瞑想がいいらしい」と聞けば、とりあえず瞑想してみたり・・・
スピリチュアルなことを知れば内側と繋がれる・・・と、スピリチュアルな世界に偏ったり・・・
しかし、実際は
- 今の状況をどう解釈しているか?
- 無意識で繰り返しているパターンはなにか?
- 同じ結果を招いている原因は何か?
など・・・現実とどう繋がっているか確認することが重要です。
ここが整理されていないままでは、
どれだけスピリチュアルな学びを重ねても、同じ場所をぐるぐる回ることになりがちに。
本当に「向き合えている」人に共通すること
現実が少しずつ動いていく人の共通点は、
- 他人や環境のせいにせず、自分の中にある原因に目を向ける
- 「一度の気づき」や「わかったような気がする」で終わらせない
- 小さな違和感を放置しない
このように地味な作業を淡々と続けているのです。
自分との向き合いは、一人でやるもの?
自分と向き合う作業は、「自分」が主体ですから・・・「一人で行うもの」だと思われがちです。
しかし、私が今まで見てきた例では・・・
- 自分では当たり前すぎて気づけない思考や行動
この部分は、一人で考え続けるほど見えにくくなることもよくあります。
私も昔、自分と向き合うことを始めた頃・・・
「自分では当たり前だと思っていること」を、
講座受講やセッションを通じて人から指摘されるまで、わかりませんでした。
自分の思考や行動のクセを観察するにつれわかったことは・・・
今まで自分は、「こんな性格で、こんなことが好きで、こんなことが苦手で・・・」と思ってたことが、
思考や行動の裏にある「本当の思い」を知るにつれ・・・
その大半が、自分が今まで思っていたことと真逆だったり、的外れな方向へ行っていたことに気づきました。
これが何を意味するのか?
自分のことを知ってるつもりで、実は「本当の自分」が全然わかってなかった
ということです。
自分と向き合うことができていなかった。
自分と向き合うことが進んだ人は、私のこの例と同じように言う人も非常に多いです。
「本当の自分を知ること」をスピリチュアルな方向に偏ってしまうと・・・
前世、使命、エネルギー、瞑想、サイキック能力開花・・・というように、
意識が「現実」から離れていくことも珍しくありません。
勘違いしてほしくないのは、
自分と向き合うことは、スピリチュアルと全く関係ないという意味ではありません。
ここでいうスピリチュアルとは・・・自分と向き合って、本当の自分で生きること。
この場合、「目に見えない部分に焦点を当てすぎた世間でイメージされるスピリチュアル」とは少し異なるかもしれません。
一般的に「スピリチュアル」という言葉から連想されることも多い・・・
「瞑想」をするのもいいし、「前世」も「カルマ」も知ってもいい。
ただ、それをするだけ、知るだけで自分と向き合うことにはならない・・・ということ。
しかし、私が今まで様々な例を見てきて感じることは、
「自分と向き合うこと」を・・・
スピリチュアルっぽい行動や知識を得ることに結びつける人の方が、圧倒的に多いです。
- 何年も同じテーマで悩んでいる
- 向き合っているはずなのに現実が変わらない
- 何を整理すればいいのかわからなくなっている
もし、そんな状態に心当たりがあるなら、
「自分との向き合い方そのもの」を一度見直してみるのもいいかもしれません。


