見守れない人達
特に自分にとって大切な人や近しい人が、外から見て困難な状況や良いと思われない方へ進んでいると感じた時・・・
おせっかい的に干渉する人
自分が口出すことではないと理解して見守るけど・・・やっぱり心配しちゃう人
その様子をただ見届ける人
に分かれていきます。
一見「見守る」と「見届ける」は同じように感じるかもしれませんが・・・
私の中では・・・「見守る」と「見届ける」はニュアンスが違って、「見届ける」は一連の出来事やそのものの様子を最後まで見て確認するというか・・・胸に記録するというか・・・相手に対して心配や注意して目を離さずに見ている的なのとは違って、自分とは切り離した感じ🤔
例えば、自分の家族や近しい人だったとしても・・・本人の人生に起こることやそれによる学びなどは、本来は他人が干渉することではありませんよね。
自分の親だとしたら・・・親の生き様を最後まで見届ける、とかいうニュアンスでしょうか。
一方「見守る」というと・・・相手に対する自分の感情が少なからず移入してしまう気がするので、「見届ける」はそれよりももっとドライな感覚と言った方が近いかな?
なぜこんな話をするのかというと・・・冒頭の例で書いたように、
自分が口出すことではないとして見守るけど・・・やっぱり心配しちゃう人
このケースが見ていて多く、それによって振り回されたり疲弊している様子を見るからです。
見守る、といいつつ・・・見守れず干渉する人もいますが😅
見守ると決めたはずなのに・・・相手の状況を見て自分の感情を大きく揺さぶられたり、それによって疲れたりする・・・
このような様子は、相手を尊重したり信頼できていない時に出てくることも・・・。
特に親と子供の間でよくみられる気がします🤔それも本人の学びのひとつでしょうが。
自分が相手の状況について・・・たとえいくら悩んでも、不安がっても、どうにかしてあげたくても、幸せになってほしくても・・・
それは本人がどうしたいか決めて、選んで、進んでいく事です。
本人が望むことと、自分が外から見ていて「こうした方が本人にとって良いのでは?」と思うことは、同じではないかもしれない。
しかし・・・自分の人生じゃないのに、まるで自分の人生の一部のように関わろうとする人も見ていて多いと感じます。
自分の人生にしっかり目を向けて生きていないと、このような現象が起きます。
たとえ家族であっても親しい仲であったとしても・・・その人の人生は、その人自身のもの。
それに気づけると、「見届ける」にシフトチェンジしていけますよ🙂