価値観を押し付ける人との向き合い方
「それが普通だから」
「自分がそうしてきたから」
「あなたのためを思って言っている」
こんな言葉に、息苦しさを感じる・・・というご相談をいただくことがあります。
一見、正しく、まっとうで、反論しづらい「正論」のような内容・・・
「正しいはず」なのに、話を聞くほど心が疲れていく。
こんな現象は、「正しさそのもの」が問題なのではなく、正しさを他人に証明しようとする態度に原因があります。
「正しさを証明しようとする」ことは、本当に必要か?
人は誰でも「自分は間違っていなかった」と思いたい生き物。
ただ、その気持ちが強くなりすぎると・・・
無意識のうちに、他人を使って・・・自分の人生が正解だったかを確認し始めることも。
・自分と同じ選択をしている人を見ると安心する
・違う生き方をしている人を見ると、否定したくなる
・納得できないと、説得や指導を始める
この状態になると、正しさは「攻撃」になります。
「自分の人生が正しかった」と証明したい親
ご相談の中でも特に多いのが・・・親世代からの正しさの押しつけです。
・結婚
・出産/育児
・男性は外で稼ぎ、女性は家庭を守る
・「いい大学」に入り、「いい会社」に就職し、「安定した収入」を得て、マイホームを建てる
このような「人生テンプレート」を、「これが正しい人生だ」と疑わずに生きてきた人たちがいます。
「今時そんな人が?」と思うかもしれませんが・・・
上記に当てはまる人を見て、「えらい」とほめる・・・こんな光景、私も見覚えがあります。
ここで問題なのは・・・
「価値観そのもの」ではなく、それ以外の生き方を「間違い」として扱うことです。
たとえば、子どもが「自分の中の正解」と違う選択をすると・・・
「そんな生き方で幸せになれるわけがない」
「普通はこうするもの」
「親の言うことを聞いていれば間違いない」
こんな言葉の裏側には、自分の人生を否定されたくない恐れがあることも・・・。
たとえば、久しぶりに実家に帰ったとき。
「まだ結婚しないの?」
「子どもは考えていないの?」
「正社員で安定した仕事に就かないと将来困るよ」
そんな言葉が、心配を装った正論として並べられることがあります。
反論しづらいけど・・・なんか胸の奥がざわつく。
言う側の人が、あなたの人生を通じて「自分の人生が正解であるか?」を確認しているのかもしれません。
「あなたのため」は、本当にあなたのため?
近しい人が口にする「あなたのためを思って」という言葉。
しかし実際には・・・
「自分の人生が間違っていなかったと証明したい」という気持ちが混ざっていることも少なくありません。
たとえば、もし子どもが
・結婚しない
・子どもを持たない
・会社員以外の働き方を選ぶ
こんな選択をして、幸せそうに生きていたらどうでしょう。
「子供が幸せなら、それでいい」と思う親もいる一方で・・・
それで幸せだとしたら・・・
自分が信じてきた「正しさ」が絶対ではなかった、という現実を突きつけられることになります。
だからこそ、無意識に否定したり・・・
「子供が幸せなら、それでいい」と思えない親も実在するのです。
正論がしんどい理由
「正論」は、論理的で支持する人が多い一方・・・だからこそ厄介な面があります。
正論を、
「間違ってはいない」
「でも、苦しい」
こんなふうに違和感を感じるとき、実際にあなたは何かを「間違えている」わけではありません。
正しさは、人を救うこともあれば縛ることもありますし、
そもそも「正しさ」は、人によって違うのです。
正論がしんどい理由のひとつは・・・
反論すると「そんなのおかしい」「感謝が足りない」「わがまま」と言われ、
黙っていると・・・「わかってくれた」「図星で反論できないんだ」と解釈されがち。
どう反応したところで、自分の気持ちは置き去りになる。
だから会話が終わったあと、モヤモヤや疲労感だけが残ります。
正しさは人の数だけ存在する
「時代」が違えば、「正しさ」も変わりますし・・・
「環境」が違えば、「幸せの形」も変わります。
かつての日本は・・・
・終身雇用が当たり前
・結婚=安定
・我慢=美徳
こんなイメージが強いですが、
現代では、
・働き方
・家族の形
・生き方の選択肢
など・・・昔と大きく変わっています。
それなのに、
「昔のままの正しさ」を「現代」に当てはめようとすると、どこかで歪みが生まれるのは当然のこと。
本当に「自分の軸」を持っている人は、他人に押しつけない
自分の人生に納得している人は、他人の選択を過剰に気にしません。
・自分と違う生き方でもいい
・理解できなくても、されなくてもいい
・自分は自分、相手は相手
それが親子であろうと、全くの他人であろうと、心からそう思えるからです。
逆に、
他人の人生に口を出したくなるときは・・・
自分の中に未消化の感情が残っているサインでもあります。
「自分の正しさ」は、他人に証明する必要はない
「自分が選んだ人生」が「正しい」かどうかは、
親でも、世間でも、誰かの価値観でもなく、
自分自身が受け入れて生きているかどうかで決まります。
たとえ、
誰かに納得してもらえなくてもいい。
理解されなくてもいい。
自分の人生は、自分の中で肯定できればそれで十分です。
過去の私は長らくこれができず、生きづらかった。
生きづらくしていた原因は、他人からなにを言われようとも・・・
自分の人生を自分で肯定できていなかった自分自身にあったのです。
正しさを主張する人生より、受け入れる人生へ
「自分の正しさ」を証明し続ける人生は、常に誰かの目を気にしなければなりません。
しかし、自分自身が正しさを肯定できていれば・・・他人を説得する必要がありません。
・「私はこれを選んだ」
・その結果も、「私のもの」である
本来は、ただそれだけです。










