「どうでもいい」と言いながら気にしてしまう心との向き合い方
日頃、誰かとの会話の中で・・・
「別に」「どうでもいい」「気にしてない」
そう口にする場面に遭遇します。
しかし、話を聞き進めていくと・・・「それ、本当に気にしてないの?」と感じることがあります。
本当に「どうでもいい」と思ってることなら、話題にすら出てこなかったり・・・
見聞きしたとしても、なにもひっかかるところがないので忘れてしまいます。
しかし、誰かの話題になり・・・興味ないそぶりを見せつつも、こっそり裏でその人のSNSを見てしまったり・・・
誰かに愚痴をこぼしたりするのであれば・・・
それは本人が気にしていない「つもり」でも、心がその出来事で揺れているサインかもしれません。
「気にしてない」と言うときほど、心は反応している?
「どうでもいい」と言葉にする背景には、
「そう言わないと傷つく自分を隠せない」「気にしていると周りに思われたら恥ずかしい」という防衛本能が働くことがあります。
たとえば・・・
・誰かの成功話をきいて、羨ましいけど認めたくない
・誰かの発言に傷ついたけれど、平気なふりをしたい
・比較されて悔しいけれど、そんな自分を見せたくない
そんなとき、心の奥で感じた痛みや劣等感を「気にしてない」と自分自身に言い聞かせて抑え込もうとすることも・・・。
結局、「どうでもいい」とわざわざ言葉にしているときほど、実際は「心が動いている」ことが多いという事実。
その反応を見ないふりすることで、なんとか自分を保とうとしているのかもしれません。
誰かを「目のかたき」にしてしまうとき
「どうでもいい」と言いながら、なぜかその人が気になって仕方がない。
見たくないのに、SNSを覗いてしまう。
誰かがその人の話をすると、イラッとしてしまう。
そんなときは、自分の中の「比較される」という意識や「承認欲求」が反応しているかもしれません。
今目の前にある現実は、「自分がまだ手に入れていないもの」や、「見たくない自分の一部」を、なにかの出来事や他人を通して見ることがあります。
たとえば、
・自分も本当はもっと自由に生きたい
・自分も認められたい
・自分も挑戦したいけど怖い
など・・・これらの本音と自分の現実生活が合ってないとき、
それを体現している相手が、羨ましく憎らしく見えてしまうことがあります。
しかし実際には、その相手が悪いわけではありません。
反応しているのは、「自分の内側」であり・・・
相手は自分の心の中を映す鏡にすぎない。
以前あった例で紹介すると・・・
AさんとBさんは親しい友人同士。
しかし、裏では・・・お互いの愚痴を誰かへ言う・・・という日常。
私はAさんともBさんとも顔見知りでしたが・・・
どちらも「相手より優位に立ちたい」というライバル心がむき出しな上に、相手から見せられる言動の数々によって自分の劣等感が刺激されている状態でしたが・・・
本人たちはそれに全く気づかず、自分の内側がそれらの現象に投影されているということにも耳を貸しませんでした。
「自分は相手のこと羨ましいと思ったことない」とか「相手がこんな行動をしてても、全然気にしないし」と言っていますが・・・
「そうではない」ことを裏付けるような反応ばかりします🤣
また、昔遭遇した例で、
「婚活しているけどうまくいかない人達」が・・・
「婚活がうまくいった知人」を見て、「あんなパートナーなら、結婚したくないから独り身でいいや・・・」「結婚したと聞いても全然羨ましくない」などと言っていたことがありました。
実際、知人のパートナーとなった方は・・・言動に問題があり、周りの人から好かれていない状態でした。
しかし、その方をパートナーで「良し」として選んだのは知人であり、周りの人には本来関係ないことなのです。
この時、「婚活しているのにうまくいかない人達」は、この場面から何も学びませんでした。
「あんなパートナーなら羨ましくない」「それなら独りでいいや」の裏には、
本当はどんな思いがあって・・・なにを求めていたのか・・・。
そして、「婚活がうまくいかない人達」の中には、CさんとDさんという方がいました。
Cさんは婚活への意欲が失せやめてしまいましたが、その後自分と向き合うことを始めたことで、
あのとき知人の結婚を通じて感じたことは、当時の自分の内面にあるものが投影されていたことに気づいたそうです。
知人やそのパートナーに対して「なにか」を思っていたわけではなく・・・
本当は自分の内面の問題であり、あの時自分の心の奥にあった思いに気づけたら・・・と悔やんでいましたが、そのときはまだそれに気づけるタイミングではなかったのでしょう。
数年後、Cさんは結婚しました。
一方、Dさんは・・・
今も当時と変わらず、現実は自分の内面を投影していることに気づかず・・・変わり映えしない毎日を送っています。
かつて同じ状況だったCさんの結婚の報せを聞いても・・・「Cさんのパートナーの職業なら、大変そうだから自分は結婚したくないな」「それなら独身でいいや」と、知人のときと同じことを思ったそう。
Dさんは、自分で言ってる通りの現実になり・・・現在も結婚していません。
「見ないふり」と「本当に気にしない」は違う
「気にしないようにしよう」と思っても、
モヤモヤが消えないとき・・・心の中でまだ「未処理の感情」があるから。
本当の意味で「気にしない」とは、その人や出来事に対して・・・心に波風が立たずにジャッジがない状態。
一方、「見ないふり」は・・・
まだ整理できていない感情を、「気づかないふり」して無理やり押さえ込んでいる状態。
そのままにしておくと、形を変えてまた何度でも現れます。
「気にしてる自分」を責めずに受け入れる
「どうでもいいと思いたいのに、気になってしまう」
それに気づいたら・・・無理に感情を消そうとせず、
まず「自分は今、気にしているんだな」と素直に認めることが大切。
「気づく」「認める」は、自分の内側の癒しの始まりです。
「悔しい」「羨ましい」「悲しい」どんな感情だとしても・・・
それを否定せず、ジャッジせず、
「そっか~」と理解することは、自分と向き合う入口になります。
心が軽くなるための3つのステップ
では、どうすれば本当の意味で「気にしない自分」になれるのでしょうか?
- 感情を認める
「気にしていること」を否定せず、「自分は今こう感じている」と正直な感情を肯定する。
そこに、「だから良い」「だからダメだ」というジャッジは必要ない。 - 原因を見つめる
なぜその人や出来事に反応したのかを深堀りしてみる。
「羨ましい」「悔しい」「怖い」など、なにかしら感情の奥にある「思い」を見つける。 - 相手と自分を切り離す
「相手は相手、自分は自分」と境界線を引く。
相手の反応にいちいち目くじらを立てるのではなく、それに対して「自分はどんな反応をしているか?」に焦点を当てる。
上記は私が日頃からセッションや講座内でもよく話す内容なのですが・・・
その時は「そうか!」と理解する方も多いのですが・・・また日常生活に戻ったとき、この3ステップを忘れちゃうケースも実は多いです。
その場合、そのクセをやめていくことをコツコツ続けることが重要です。
本当の「どうでもいい」とは?
本当にどうでもよくなると・・・
わざわざ「どうでもいい」と言葉にする必要さえなくなります。
話題に出てきません。
たとえ相手の行動を見ても、心が波立たず、「ああ、そういうこともあるよね」と自然に思える。
それが「無関心」
一見冷たく感じるかもしれませんが・・・
「相手の人生は、相手のもの」と個人を尊重できる状態です。
「どうでもいい」と言いながら、誰かや何かに反応してしまうとき・・・
実際は、自分の成長のチャンス。
自分を深く知るきっかけでもあり、
まだ消化できていない感情や痛み、自分が本当に何を求めているのか?を知るタイミングでもあります。










