承認欲求に縛られた人生の終わり
今の大人たちは特に・・・人生のあらゆる場面で、他人と比べて優れている・劣っていると比較する機会がある環境で過ごしてきました。
たとえば、教育課程では・・・徒競走をしても順番がつくし、学力も学年〇位と順位がつくし、通知表も今は違うようですが昔は相対評価で比較してつける方式でした。
社会に出てからも、「学校」が「社会」に変わっただけで・・・同じでした。
このような環境下で多くの時間を過ごすと・・・無意識に他者との比較が身に着いていくので、みな多かれ少なかれ「人と比べて自分はどうか?」という思いを持ったことがある人が多いこともうなずけます。
そんな環境下で過ごしていくと・・・人生のどこかで、その生き方に疑問を抱いたり・・・
理由はわからないけど、苦しさ生きづらさを感じてくることがあります。
たとえば・・・
「〇〇さんの息子さん、△△大学に合格したんですって」
「□□さんの娘さんの結婚相手、立派な職業で出世している人らしいよ」
そんな言葉を耳にすると、どこか心がざわつく・・・。
自分では「気にしない」と思っていても、無意識のうちに長年積み重ねた「周りとの比較」が心の奥に潜んでいる人は少なくありません。
特に、親や兄弟姉妹、親戚、親しい友人などの身近な人に対してコンプレックスを抱いている人ほど、「自分の価値」を周りに認めてほしいという気持ちを抱いていることも多い。
しかし、たとえ他人から認められたところで・・・
心は満たされず不足感が残り、どこまで何をすればその思いが消えるのか・・・ゴールが見えない。
当ルームの例でも、最初にご利用いただく時に上記のような状態で来られる方も少なくありません。
「勝ち負け」の先に何が待っているのか?
たとえば、自分自身のことだけではなく・・・結婚相手の職業、子どもの進学先、孫の将来…。
それらが「自分の評価」に結びつくと考えてしまうと、人生が常に「勝ち負け」で測られるようになります。
「娘はちゃんとした人と結婚してほしい」
「孫はいい大学に行って、いい会社に入ってほしい」
その裏には、「自分は認められたい」「世間に誇れる存在でいたい」という承認欲求があります。
承認欲求そのものは誰でも持っているものですが・・・
その想いが強すぎると、人生の中で苦しく感じる場面が増えていきますし・・・本人も、子どもや孫など関わる人たちもどんどん苦しくなっていくことも・・・。
よくあるのが・・・表面上は「立派な家庭」「幸せな親子」に見えても、心の中は満たされない。
誰かに「すごいですね」「いいね」と言われても、満たされるのは一瞬だけ。
「他人の物差し」で生きるほど、自分を見失う
多くの人が気づかないのは、
「誰かに認めてもらうための人生」を生きている限り、本当の意味での満足は永遠に手に入らないということ。
そもそも、自分のことを他人の基準で測ろうとすること自体が本来必要ないことですが・・・それに加え、他人の評価はコントロールできません。
自分がたとえどんなに頑張っても、もっと上がいたらみんなそちらを「すごい」と思うかもしれない。
どんなに素晴らしい結果を出しても、それとは全く関係のない部分で否定されてしまうかもしれない。
他人の物差しで生きるほど、
「自分が本当は何を望んでいるのか?」
「何が自分にとっての幸せなのか?」
がわからなくなっていきます。
そしていつの間にか、「幸せを感じる感性」そのものが鈍くなってしまうのです。
最近、年配の方の現在の様子を見て感じることがあります。
このような生き方をしてきた人は、晩年に顕著に表れるのです。
私が見た例で紹介すると・・・
幼少期の頃から、妹に対して対抗心を抱いていたAさん。性格もひねくれていました。
妹は頭の回転が速く、社交的で明るく人が寄ってきやすい。
特別美人ではないけど、さっぱりしてて男女ともに人気があるタイプ。
一方Aさんは・・・内面が外見に現れたような雰囲気で、
Aさんはそんな妹に幼い頃から「なんで妹ばっかり」とジェラシーを抱いていました。
大人になり、妹は「世間的にいい職業」の人と20代前半で結婚しました。
Aさん自身は、「世間的にいいとは言われない職業」の人と30歳間近で焦って結婚しました。
妹は経済的に恵まれていて、Aさんは経済的に楽ではなく・・・ますます心が荒んでいきました。
お互い同じような年代の子供ができたことで・・・Aさんの対抗心にますます火がつきました。
そこからは、Aさんは「なんとか妹の子供よりも自分の子供を優位にたたせたい」と熱心に子育てしましたが・・・
学校教育の過程では、すべての面において妹の子供が圧倒的に優れていました。
それがまたさらなる嫉妬心とコンプレックスに火をつけ・・・
Aさんは次第に妹に攻撃的になっていきましたが、妹の方はいつも相手にすることなくかわしていました。
やがて子供たちが大人になり、「世間で言われるようないい人生」を歩んだのは、Aさんの子供でした。
そこでAさんははじめて妹に「勝った!」という気持ちを味わい、そこからは妹に対して公の場でも裏でも「上から」の態度で接するようになりました。
そんなAさんに対し、妹は不快ながらも相手にせずにスルーしていました。
時は流れ・・・Aさんの孫は、Aさんが望んだ理想の人生を歩んでいました。
Aさん自身が手にできなかった「社会的評価」を兼ね備えた孫は、自慢でした。
一方、妹には孫はできませんでした。
そこでもAさんはまた「勝った!」と思いました。
しかし、これだけ「勝った!」を積み重ねて「自分は幸せだ」といくら言い聞かせても・・・
ちっとも幸せじゃありません。
それは、Aさんの日常生活に理由がありました。
自分の子供も、孫も、幼い頃から対抗心を燃やし嫉妬対象だった妹に「勝った」
それにより、自分も「妹より上」だと思った・・・。
しかし、実際自分の今の暮らし自体は・・・
経済的にも立場的にも、自分が予想してなかったような人生になった。
プライバシーの関係上、詳細は言えませんが・・・「悲惨」と思われるような状況です。
当然、心の満足度は低く・・・それに対し、経済的にも立場的にも今「自分より良い」と思われる妹の暮らしが羨ましく憎らしい。
でも、自分は子供と孫のことで妹に「勝っている」
自分にそう言い聞かせて、今自分より「良い暮らし」を送っている妹に嫉妬し続ける・・・。
Aさんの人生には、いつも妹が比較対象として存在しており・・・
たとえ一瞬「勝った」と満足しても、また別の部分で「不足」を感じ、一生妹に対して嫉妬心とコンプレックスを抱いて生きています。
子供や孫が出来て環境が変わっても、ずっとこれの繰り返しです。
それは、常に他人と比較して他人軸で生きているからにすぎません。
ちなみに、妹の方はどうかというと・・・
もともとAさんの人となりと心情を理解し、相手にせず常にマイペースで生きていました。
世間からみたら自分はどう思われているか知らないけど・・・
「自分なりの幸せ」を感じており、満足しているとのこと。
現在は、幸せな老後生活を送っています。
「比べる生き方」をやめる勇気
「周りと比べないようにしよう」と頭では分かっていても、今までの心のクセは簡単には変えられません。
でも本当は、最初の一歩はとてもシンプル。
それは「自分の幸せの基準」を思い出すこと。
その答えは、他人ではなく自分の中にしかありません。
たとえば、さきほどのAさんの例では・・・
Aさんは本当に「妹に勝つこと」が幸せだったのでしょうか?
おそらく最初は「こうなりたいな」「こうだったらいいな」という自分なりの理想があったことでしょう。
しかし、妹を比較対象としてロックオンしてしまったことで・・・
あらゆる面で「妹と比べて自分は・・・」という気持ちになってしまった。
「自分自身の幸せ」に目を向けていられたら、こんな風にはならなかったことでしょう。
本当の幸せは、他人から承認されることで発生するのではなく・・・
自分で感じ、自分で育てていくもの。
誰かがどう思うおうと・・・
「自分基準で判断したいいと思うこと」に従い、他者承認ではなく自己承認していくことで、
「自分が本当に望む幸せ」を感じることができます。
「承認されたい自分」を癒すことから始めよう
「他人に認められたい」という気持ちは、もともと誰にでもあり、自然な欲求のひとつでもあります。
ただし、それが「人生の中心」になってしまうと、「幸せの軸」が他人判断に奪われてしまう。
誰かと比べることで一時的に優越感を得ても、それは一瞬ですぐ崩れます。
本当に心が満たされるのは、
「他人の評価ではなく、自分の感覚を信じて生きる」と決めたとき。
本当は、誰かに誇れる自分になるより、自分に誇れる自分でいることが重要です。
人生の主役は、いつでもあなた自身。
他人の承認を追いかける生き方をやめたとき、はじめて「本当の自分の人生」が始まります。
さきほど紹介したAさんの例は、「本当の自分の人生」を取り戻すにはもう遅すぎました。
まだ軌道修正できるなら、
他人の承認ではなく、自分の心に「よくやったね」と言える生き方を選びましょう。