自分で体験して学ばないと意味がない

他人の人生の課題は本人のもの

最近いろんなケースを見ていて感じることは・・・時代が変わっても、人々のお悩みのテーマやそれに対する行動って変わらないんだな~と気づかされました。

例えばスピリチュアルなことが好きでそれに関わるいろんなことに興味を持っている場合、私が10年以上前に見た光景と同じことをしている人々を見かけることがあります。

その光景とは、「スピリチュアル迷子」なのですが・・・・「自分探し」を「外」に探しに行く・・・ってやつですね🤔

当時私もその渦中にいたので状況も気持ちもよくわかりますが、それと同時にそこでは「自分」は見つからないこともわかります。

でも、そこを通らないと・・・

そこでは何も解決しないということを「自分でわかる」ことができないので、いくら周りが何か言ったとしても、本人がそれを「わからない」ので意味がありません。

時々見かけるのですが・・・本人が体験して学ぶべきことを、他人が先回りして教えてしまうことがあります。

たとえ上記のように、そこでは何も解決しないということを本人以外の誰かがわかっていたとしても・・・本人の体験を奪うようなことはしてはいけないのです。

他人には無意味だとわかっていたとしても、その体験を本人がすることで自らそれを学ぶのだから。

そうしないと、自分の人生の意味・・・ないじゃないですか?🤔

占い、ヒーラー、カウンセラー、セラピストなど・・・人の相談にのる仕事をしている人で見かけることがありますが、本人が自分で良かれと思ってやってることを「それはダメ」「やめたほうがいい」「こうした方がいい」って、体験の機会を取り上げちゃうのね。

本人が体験して学ぶことで、自分自身で気づかないと意味ないのに・・・。

言った側にそんな気なくても、他人の課題を奪っちゃうってやつですね🤔

それは誰のためにもならない。

たとえ人の相談にのる仕事じゃなくても、友達の人生相談とかでも同じですが・・・

他人の人生の課題は「その人本人の課題」自分の人生の課題は「自分の課題」とわきまえて、混同しないようにしたいですね🙂

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