他人に意識が向く
自分の人生に対して満足度が低いと、様々な弊害が起こります。
しかし、自分自身「満足度が低い」と自覚しているケースは少なく・・・そのイライラやモヤモヤの正体がわからず、自分以外の誰かや何かに意識を向ける人が見てて多いです。
「満足度が低い」と自覚しているケースは少ないとお伝えしましたが・・・
例えば、
他人のことばかり気にして、相手を批判したり攻撃したりする人っていますよね。
それは・・・会社内、ママ友、コミュニティ、友人同士、家族、パートナーなど様々な場面で見られる光景です。
「自分の人生に満足していない」ことに気づけない人たち
よく見る例をいくつかご紹介すると・・・
・知り合いや道行く人など他人の外見(服、髪型、持ち物等)について批評する
・他人の家庭や他人のパートナーについて「あれはダメだ」「これは非常識」など批判する
・誰かが良い待遇をを受けているのを見て批判する
などなど・・・
特徴として、「自分には関係のないこと」なのに、それが気になってしまい・・・つい攻撃したり批判するという現象が起こります。
本来なら、
知り合いや道行く人のファッション、ヘアスタイル、所有物のチェックなんてする必要ありませんし・・・
他人の家庭やパートナーがどうあろうが、自分にはなんの影響もありませんし・・・
誰かが良い待遇を受けることで、自分になにか悪いことが起こるわけでもありません。
このような場合、本人の人生が充実していないから・・・他のことに目が向き、ケチをつけたくなったり、嫉妬したり、他人でストレス発散することになります。
その中でも、自分の人生の充実度が低いことに自覚がない例も多いですが・・・
今まで様々な例を見てきて思うことは、家庭内の状況やパートナーシップが「自分の理想とは違う」ために不満を抱えている人が多い印象です。
そして、それは「一般的な幸せ」を手にしている人によく見られます。
他人に意識が向くのは、自分が満たされていないサインかも?
具体例をあげると・・・
夫は安定した職業、自分は専業主婦、子供は2人、マイホームを購入し経済的にも時間にも余裕がある暮らしをしていて、周りからは「いいわね」と羨まれるような状態。
外から見て「いいね」言われたり、社会的に良しと言われている項目に当てはまるとき・・・
本人にとってはたとえ今の状況が理想的ではなかったとしても、他人に評価されることで「自分が理想とする現実ではない」という部分が、見えない所に隠れてしまいます。
だから、本人的には「自分は幸せなはず」「恵まれている」「感謝するべき境遇だ」と思い込んでしまうため、「自分の心」が満たされていないことには気づきにくくなります。
実際、たとえば上記の環境だったとして・・・
本当は専業主婦じゃなく、社会で活躍したかった人かもしれないし・・・
本当は特に望んでいなかったけど、周りがみんな結婚して子供を産んでいたから、自分も同じようにしただけかもしれないし・・・
本当は賃貸で良かったけど、周りがみんなマイホームを購入してたから同じようにしただけかもしれないし・・・
一見仲良さそうに見えるかもしれないけど、すれ違い夫婦で寂しい思いを抱えているかもしれないし・・・
本当のところは、一見ではわからないものです。
私が遭遇した多くの例は、家庭内の状況が外から見たら「幸せな家庭」と定義されるような暮らしに見えるけど・・・本人的には「自分が理想とする家族関係や環境ではない」というケースが多いです。
でも、その本心を見ないふりしてどこかへ押し込めることで・・・
自分が理想とする状況にすでになっている人や、自分とは考え方や行動が違う人、自分が「良し」とすることをしない人に対して攻撃してしまう・・・ということが起こります。
改善策としては、本当の自分を深く知り、本当の望みにそって生きていけば変わっていきますが・・・
さきほどもお伝えしたように、本人自身が自分の人生に満足していないことに自覚がないので、改善しようとする人は実際少ないです。
他人に意識が向く人との向き合い方
世の中には、こんな状況の人がたくさんいます。
会社でも、コミュニティでも、友人の中にも、家族間でも・・・どこでも遭遇する可能性があります。
遭遇したときに、嫌な気持ちになる人も多いでしょう。
しかし、そこで嫌な気持ちになりその本人に波長を合わせてしまうのはおすすめしません。
なぜなら、自分がたとえ良い状態だったとしても、そこに波長を合わすことで自分も低波動になってしまうからです。
自分とは違う、という「区切る意識」を持った上で、自分と異なる状況にいるその人のことも肯定してみましょう。
例えば・・・
「私はこんな風には思わないけど・・・この人なりにそう感じるにはなにか背景があるんだろうな」とか「私には理解はできないけど・・・この人が他人にばかり意識を向け攻撃する理由はなにかあるんだろうな」という感じです。
「共感」はできないけど、「この人はそういう状況なんだろうな」という肯定です。
たとえ自分にとっては好ましくないものであっても、「その人がそうである」という事実は現実から排除はできません。
自分の人生を満たす努力が、他人との健全な距離感をつくる
自分の人生の充実度が高い人は、基本的に他人に干渉もしないし、何かを目にしてもそこに過剰に反応もせず、ただただ事実を受け止め「そうなんだ」としか思いません。
私もそうですが・・・他人からどう見えてるかはさておき、自分自身が人生に満足しているしもっと質を高めたいとも思っているので、どこどこの誰々さんがどうのこうの・・・って本当に興味がありません😔
他者との交流も必要ではありますが・・・目的もなくただダラダラお茶するだけとか、愚痴言いながらご飯食べるだけ・・・みたいな時間の使い方は会社員を辞めたときに卒業したので、今は自分の人生の質を高めることしか考えなくなりましたね🤔
ちなみに私が会社員のときは、自分が満たされてないイライラやモヤモヤを他人には向けないけどカラオケで発散してた時期がありましたが・・・もう行かなくなりましたね。
歌うことが好きで行く方は、これとはまた別の目的だと思いますが。
当時、すでに自営業だった知人が「カラオケの必要性を感じない」と言っていたことがありましたが・・・彼女は人生の質を高めるために様々なことをやっていましたから、そんな時間も必要もなく・・・充実してたんだな~・・・と今ならよくわかります。今は飛躍して大活躍していますが😊
他人に意識を向ける生き方ではなく、自分の人生を充実させる努力をしていきたいですね🙌