「自分のほうが大変だ」と張り合う人の心理
日常生活の中で、誰かが辛い話や苦労した出来事を共有してくれたとき・・・
「寄り添い」や「理解する姿勢」ではなく、
相手の話を聞くやいなや、まるでマウントを取るかのように
- 「自分のほうがもっと大変だった」
- 「そんなのまだマシだよ」
- 「自分の苦労なんて、あなたの比じゃない」
と「大変さ」を競いにくる人がいます。
相手に「そうだね」「自分はまだマシなのかも?」と言わせるまで「自分の大変さ」を主張し続け、
最後には「自分の方が勝った!」と得意げな表情をして会話を終える人も少なくありません。
表面的には「ただこのような会話しているだけ」のように見えますが、実際は人間関係に深い溝をつくってしまうことも。
なぜ「大変な話のマウント」が起きるのか?
「共感能力の低さ」よりも「自己防衛」の可能性がある
一見すると、他人の気持ちがわからない人、共感できない人に見えるかもしれません。
しかし実際のところ・・・「自分の価値を守りたい」という強い防衛本能が働いているケースが多いのです。
人はもともと、つらかった出来事や苦労した経験に「自分の価値」を重ね合わせやすい傾向があります。
「自分はすごく大変だった」「辛い経験をした」と思うことで、「自尊心」を保てている人も中にはいます。
だからこそ、他人のつらい話を聞くと・・・
自分が経験した「大変さ」が脅かされるような気がしてしまう。
それが結果的に、張り合うような発言につながることも・・・。
「聞く」のではなく「勝つ」というコミュニケーション!?
話の本質とは全く関係なく、「常に勝ち負けで判断」してしまう人もいます。
- 自分のほうが努力してきた
- 自分のほうが傷ついてきた
- 自分のほうが苦労してきた
「大変さ」を「実績」や「武勲」かのように扱い、会話を「勝負の場」にしてしまうタイプ。
本人は、「会話」しているつもりでも、心の中では常に勝敗をつけています。
承認欲求の裏返し
「自分のほうが大変だ」と言い続ける人の多くは、「誰かに認めてもらえなかった過去」を抱えていることも多いです。
- 大変さや苦しさを周りに理解されなかった
- 相談しても聞いてもらえなかった、言えなかった
- 感情や大変さを否定され続けた
このような経験が積み重なると、「大変だった自分」を「認めてもらう」まで話をやめられない傾向が強くなります。
一見、他人の話を奪っているように見えて、実は「自分も聞いてほしかった」という心の叫びなのかもしれません。
「つらさのマウント」を取られると、苦しくなる理由
相手に寄り添ってほしかったのに拒絶されたように感じる
辛く大変だったという話をしたとき、人が求めているのはアドバイスでも比較でもなく・・・
ただただ
「大変だったね」
「つらかったんだね」
「頑張ったんだね」
の一言。
ところが、返ってくるのは・・・
「あなたより自分のほうがもっと大変」という言葉。
この瞬間、言われた側の「痛み」は「存在しなかったこと」にされます。
話を奪われることで、心が閉じる
会話の主導権を横取りされ、自分の方が大変だったアピールされると・・・
「もうこの人には話したくない」
と感じるようになります。
そしてその感覚は、他の人間関係全体に影響し、他人との距離が生まれることも珍しくありません。
相手は満足しても、こちらは置き去りのまま
相手は「勝った」気になり、スッキリしているのに・・・
「自分の方がもっと大変」と言われた側は、不完全燃焼。
このギャップが心の疲労を深めてしまいます。
「大変さで張り合う人」の5つの典型パターン
①「そんなの甘い」と言ってくる
他人の悩みや体験を、「自分の基準でジャッジ」し、上から評価してしまうタイプ。
②話の途中で急に「私なんてね!」が始まる
相手の話を途中で話を奪って「自分語り」へ持っていくタイプ。
③被害者意識が強い
「自分だけが大変」「周りはわかってくれない」という思いが根強いタイプ。
④常に自分を特別枠に置きたい
苦労話を「自分の存在価値」として捉えるタイプ。
⑤弱音を吐くのが怖い
他人が弱音を見せるとなぜか焦り・・・「自分のつらさ」で蓋をしようとする。
こんな人との付き合い方
まともに勝負しない
相手は「勝ち」「負け」にこだわっている場合も多く、その勝負に参加する必要はありません。
感情的になるほど相手のペースになるため、同じ土俵に上がらず「軽く受け流す」のがベスト。
話を奪われたら、そっと距離をおく
改善されないなら、その人は「人の話を聞く器」を持っていません。
無理に自分の話を共有する必要はないのです。
あなたの感情は「あなたのもの」と切り離す
相手がどれだけ「自分のほうが大変」と言っても、「あなたの大変さ」が「なかったこと」になるわけではありません。
相手に比較されても、それで価値が決まることはありませんので・・・
「相手がいかに大変だったか」と「自分の大変な経験」は切り離して考えましょう。
私が遭遇した「自分の方が大変」な人たち
私も今までの人生の中で、張り合ってくる人に遭遇したことが何度もあります。
「自分の方が大変!あなたなんて・・・」と私自身の体験を否定する人もいましたし、
誰かが誰かにそうしている様子を見かけることもたくさんありました。
特に覚えているのは・・・
自分の親や配偶者が「何歳で亡くなったか」で、相手にマウントとる人達。
自分の方が若くして親や配偶者などの家族を亡くしたという状況の場合、「自分の方がもっと大変だった」と主張するケースを見かけることがあります。
第三者から見てたら、それぞれ大変だったんだろうな・・・と思うので、「どっちが大変」とか「どっちがより早く亡くしているから大変」という目線で見ないですが。
それよりも、お互い同じような境遇だということで理解や共感し合わないんだな~・・・と驚きます🤔
私の場合、私の話を聞いて「自分の方が大変だ!」と主張してきたり否定してくる人に遭遇したときは・・・
最初は自分の話だったとしても途中から「相手の苦労話」に変わるので、「それは大変でしたね」「つらかったですね」「頑張りましたね」と言って、さっさと会話を終わらせることにしています🙂
ちなみに、相手はそれでとても満足そうな様子です😅
「張り合う人」にならないために・・・
実際は、誰でも無意識に「大変さマウント」をしてしまう可能性があります。
- 自分の大変さをわかってほしい
- つらかった過去を誰かに共感してほしい
- 頑張ってきた証拠を示したい
など・・・こんな気持ちは、誰の中にもあるもの。
しかし、「大変さ」で「他人に勝つ」ことで、相手との関係性が豊かになることはありません。
もし誰かが大変だったという話してくれたら・・・
「そうだったんだね」
「大変だったね」
これらの言葉があるだけで、関係性は変わっていきます。
「人が経験した辛さ・大変さ」は誰かと比べるものではない
人が経験した辛さ、大変さに「大・小」「勝ち・負け」「正解・不正解」はありません。
本人が体験したことは、その人の人生の背景と感情の積み重ねの中にあるものであり・・・
他人にそれを否定する権利もありません。
「自分の方が上」「どちらが大変」「どちらが辛かったか」という競争に、本来意味はないのです。
大切なのは、
相手の大変さも、自分の大変も、どちらも尊重する姿勢。
それが、自分自身をより豊かにしていく道につながります。










