他人を責めるのはなぜ?
集団の中で、こんなふうに感じたことはありませんか?
「普通、あんなことしないでしょ」
「みんなが困ってるのがわからないのかな?」
「誰かがちゃんと注意すべきだと思う」
・集団がうまく回るように
・場の空気を守るために
・みんなが我慢しているのだから
「正しいことを言っている・考えている」という、自身の正義感がもとになっていることも多いですが・・・
もし、そう感じた時に・・・
「もしかしたら、相手には自分が知らない事情があるのかもしれない」
という発想に、一度もなったことがないのなら・・・。
そのとき、起きているのは・・・
「相手の問題」だけではなく、
あなた自身の思考がとても狭い場所に追い込まれている状態かもしれません。
無意識に「人を責めてしまう側」に立つ人は、なぜそう感じ、なぜそう行動してしまうのか?
本日はこちらをテーマにお伝えしていきたいと思います。
「普通あんなことしないでしょ」と言ってしまう人の心理
「可能性」を想像できず、人を責めてしまう
集団の中で、誰かの言動が目についたとき。
周囲からはみ出る振る舞いをする人を見て、思わずこう感じたことはないでしょうか。
「普通そんなことしないでしょ」
「空気が読めない人だな」
「周りが迷惑しているのが分からないの?」
「なんで誰もなにも言わないんだろう?」
こんな言葉を口にする人の多くは、「自分は正しいことをしている」と思いがちです。
しかし、その一方で・・・外側から見るだけではわからない部分で、
相手に障害や病気、特性がある可能性をまったく想像できず、結果的に誰かを追い詰めてしまうことがあります。
「悪意」で人を責めているわけではない
まず大前提としておきたいのは・・・
「自分は正しいことをしている」と思い込み、相手の立場を想像できない人は、決して意図的に人を傷つけようとしているわけではないという点です。
本人の中では、次のような考えが成立しています。
・自分は周囲に合わせてきた
・空気を読む努力をしてきた
・迷惑をかけないようにしてきた
だからこそ、
「それができない人」は
「努力していない人」
「配慮が足りない人」
「直されるべき人」
に見えてしまいます。
ここには、
想像力の欠如というより、想像の必要性にそもそも気づけない状態があると言った方が正確かもしれません。
なぜ「相手の立場」を推測できないのか?
①「普通」という基準を疑ったことがない
本人にとっての「普通」は、
・自分が生きてきた環境
・自分が身につけてきた価値観
・自分ができていること
から作られています。
そのため、
「普通はこうする」
「普通はわかる」
「普通は我慢する」
という言葉が、無意識の前提として存在しています。
この「普通」を疑った経験が少ない人ほど・・・
「そこから外れた人」を見たときに、
「例外があるかもしれない」
「事情があるかもしれない」
・・・という発想に至りません。
なぜなら、
普通であることが「努力の結果」だと信じているからです。
② 自分が積み上げてきたことを否定されたように感じる
本人が感じている違和感の正体は、単なる迷惑さを表しているだけではありません。
その奥には、
「自分はちゃんとやってる」という、感覚があります。
そのため、
周囲と違う振る舞いをする人を見ると・・・
「自分が大切にしてきたものを壊された」
「自分の努力が軽んじられている」
ように感じてしまうことも・・・。
ここで本人の中に生まれるのは、
・怒り
・正義感
・是正したい気持ち
ですが、
それが「もしかすると相手に何か事情があるのかもしれない・・・」と、相手を理解しようとする方向には向かないのが特徴です。
③ 「配慮が必要な人」に出会ってこなかった、または気づけなかった
その中でも特に、相手側の障害や病気、特性について・・・
・知識として学ぶ機会がなかった
・身近に感じた経験がない
・あっても「例外」として処理してきた
こんな背景があると、
「障害かもしれない」
「特性があるのかもしれない」
という選択肢自体が、思考の中に存在しません。
結果として、
・性格の問題
・マナーの問題
・周りの指導不足
というわかりやすい原因に回収されてしまいます。
なぜ「裏で批判する」という行動を選びやすいのか
この場合のもうひとつの特徴として、違和感を感じた本人が直接相手に言わず、裏で批判したり、第三者に訴える形をとるということ。
このケース、私も今までさんざん見てきました😔
その理由となることは・・・
① 自分が悪者になりたくない
本人は、
「正しいことを言っている」
「みんなのために言っている」
という自負があります。
そのため、もし直接言ってトラブルになれば、
「自分が攻撃的な人だと思われる」
「空気を乱す人になってしまう」
という恐れが生まれます。
結果として、
・裏で共感を集める
・立場のある人に任せる
という行動を選びやすくなります。
② 「個人の問題」を「管理の問題」にすり替える
本人の中では、
「本人が変わらないなら、誰かが管理すべき」
「ちゃんとコントロールされるべき」
という発想が自然に出てきます。
しかしこの構図は、本人を「問題のある存在」として固定化する危険性を含んでいますので注意が必要です。
なぜ人は「本人に言わず裏で批判する」のか
これは、会社で実際にあった話です。
会社という集団の中では、誰かの言動が浮いて見えたとき、こんな場面が起こりがちです。
・ミーティングで流れを遮る発言をする人。
・今、その話をする必要がないタイミングで、突然話し出す人。
・周囲が暗黙の了解として守っているルールを、平然と外れてしまう人。
その場では大きな衝突は起きません。
しかし、ミーティングが終わったあと、休憩室や廊下でこんな声が聞こえてきます。
「さっきの発言、正直どう思った?」
「普通、あの場面であれはないよね」
「誰かちゃんと注意してあげないと、周りが迷惑すると思う」
このとき、話している側は「陰口を言っている」という自覚はあまりありません。
むしろ、
・仕事を円滑に進めたい
・空気を乱してほしくない
・自分たちは我慢しているのだから
という、正しさの感覚を持っています。
だから、
「本人に言うと角が立つから」
「上司がリードすべきだから」
という理由で、
直接向き合わず、裏で共有するという形になっていきやすい。
裏で上司に「なんとかしてほしい」と訴えることもよくあります。
問題行動だと思っていた人が・・・
この話には、続きがあります。
後になってわかったことですが・・・
実はその「空気が読めない」「自分勝手だ」「マイペースすぎる」と言われていた人は、
今でいう発達障害の特性を持っていたのです。
ちなみに、上司はそのことを把握していました。
ただし、それはあくまで本人の個人情報であり・・・上司が同僚たちに伝えられるものではありません。
そして何より・・・
そんな特性があるからといって、
周囲と違う振る舞いをするからといって、
社会から排除される理由には決してならないからです。
社会の一員として働く権利がありますし、職場に居場所を持つ権利もあります。
そもそも上司もみんなに「事情があるから仕方ないんです」と説明することもできませんし・・・
かといって、同僚たちの不満を無視することもできず、板挟みの状態に置かれていたと思います。
「わからないまま評価される」ことは、誰にでも起こりうる
ここで重要なのは・・・この話が、
「普通とは違う振る舞いをする人に、実は特性があったから仕方ない」
「誰が悪いのか?」
・・・という単純な話ではないという点です。
問題の本質は、
・特性があるかどうか
・診断がついているかどうか
・・・ではありません。
問題なのは・・・
「言動」だけで評価され、裏で批判が積み重なっていく構造そのものです。
そして怖いのは、この構造が
「責められる側」だけでなく、「責めている側」だと思っていた人にも
誰にでも起こりうる、という点を理解していない人も多いこと。
誰かを「空気が読めない」と「批判する側」にいながら、
自分自身もまた、誰かにそう思われている可能性だってあるのです。
「正しさ」だけでは、誰も守れない
このケースから見えてくるのは、
職場や集団でよく使われる
「普通」「常識」「みんなのため」という言葉の危うさです。
それらは一見、秩序を守るための正しい基準のように見えます。
しかし、
・その基準を満たせない理由がある人
・説明できない事情を抱えている人
がいるとき、その「正しさ」は「排除」に変わります。
しかもその排除は、
・なにかを守ろうとして
・場を良くしようとして
行われることも多いため・・・
気づきにくく、止めにくいという事実。
裏で批判する空気は、誰のためにもならない
裏で批判する行為は、一時的には「自分の正しさ」を守ってくれるかもしれません。
しかし、長い目で見れば・・・
・不信感が残る
・本音が言えない空気が強まる
・誰も安心していられない職場になる
という結果を生みやすくなります。
そしてそれは、
特性のある人だけでなく、
「ちゃんとやっている側」だと思っていた人自身も息苦しくしていく・・・。
「普通ならこうする」
そう思ったときこそ、
もしかしたら、自分には見えていない事情があるかもしれない
この一歩立ち止まる視点が、
集団の中で人を守り、結果的に自分自身を守ることにもつながります。
本人自身が気づいていない「しんどさ」
ここまで読むと、
相手が置かれている状況を慮ることができない「自分の正義」を貫こうとする人は・・・
一見「加害者」のように見えるかもしれません。
しかし実際には、本人自身もかなり無理をして生きていることが多いのです。
・「正しくあろう」とする緊張
・「基準からはみ出る乱れ」を許せない不安
これらを抱えたまま、
「自分はちゃんとできている」
「だから他人にも求めていい」
という形で、自分の心のバランスを取っている場合があります。
他人に厳しいその裏側には・・・「自分にも厳しすぎる生き方」の延長であることも少なくありません。
必要なのは「優しさ」よりも「立ち止まる力」
そこで求められるのは・・・
「無理に相手に優しくすること」でも、「相手の理解者になろうとすること」でもありません。
必要なのは、たった一つ。
結論づけを急がないことです。
「普通はこう」
「みんなはできている」
と感じた瞬間に、
「でも、そうじゃない理由がある可能性は?」
と、一度立ち止まれるかどうか。
それだけで、
・裏で責める
・排除する
・コントロールしようとする
という流れは大きく変わります。
「責めて」しまう人ほど、想像力を奪われている
障害や病気、特性の可能性を想像できずに、
人を責めてしまう人は、冷酷だからそうなるわけではありません。
・自分なりに正しく生きてきた
・周囲に合わせて努力してきた
・乱れのない環境を守ろうとしている
その結果として、「自分がわからないもの」を考える余裕がないのです。
だからこそ、
「もしかしたら、自分には見えていない事情があるかもしれない」
この一言を、心の中でつぶやけるかどうか?
それは相手のためだけでなく、自分自身が息苦しくならないための視点でもあります。
「誰かを責めることで守ってきた秩序」は、実際は自分自身を縛っているのかもしれません。










