無自覚な価値観の押し付けが生むズレ
人間関係のトラブルを相談されるとき、かなりの頻度で出てくる言葉
「そんなつもりじゃなかったんだけど・・・」
実際、本人としては・・・
悪意があったわけでも、相手を傷つけようとしたわけでもない。
ただ自分が「正しいと思うことを言った」「必要だと思うことを伝えた」だけ。
その認識は、本人にとっては「本当のこと」なのでしょう。
しかし、現実には・・・
相手は傷ついていたり、怒っていたり、距離を取ろうとしていたりする。
そのズレが、関係性を壊していきます。
人間関係の相談の多くは、こんなパターンです。
「そんなつもりじゃなかった」は免罪符にはならない
ここでいう問題の核は、「正しいかどうか」ではありません。
自分の価値観、正しいと信じている考え方、
これらを無自覚に相手にも当てはめてしまうことです。
ここで重要なのが・・・
・自分がどういう意図だったか?
・相手がどう受け取ったか?
この二つは、まったく別物だということです。
たとえ、
どれだけ善意だったとしても・・・
どれだけ正論だったとしても・・・
「相手がどう感じたか」までは、言った側がコントロールできません。
それにもかかわらず、人はついこう考えてしまいます。
「悪気はなかったんだから、そんなふうに受け取る方がおかしい」
「ちゃんと説明したのに、理解できないのは相手の問題」
この思考が始まったとき、対話は成立しなくなります。
「何度も言ってるのに、なんでわからないの!」という怒り
日常生活の中で、よく見かけるこんなシーン。
「何度も言ってるのに、なんでわからないの!?」
言っている本人としては、
「自分は何度も言っている」=「何度も言ってるんだから、相手は理解しているはず」
という前提があります。
・自分の理解の基準
・自分の感覚
・・・を、「相手に合わせさせようとする」
これが特徴です。
中でもよくある
「何度も言ってるのに、なんでわからないの!」
という怒り方。
言っている本人からすると、
・同じことを繰り返し伝えている
・説明もしている
・時間もかけている
だから「わからない方がおかしい」と感じてしまう。
しかし、ここに大きな落とし穴があります。
「何度も言っている」というのは、あくまで本人側の事実。
それに対し、「わかったかどうか」は、相手側が判断すること。
この二つは必ずしも一致するとは限りません。
相手は、
・言葉はちゃんと聞いていたけど、腑に落ちていなかった
・「理解したつもり」でも、実感が伴っていなかった
・「わからない」けど、相手が怖くて「わからない」と言えなかった
これらの可能性もあります。
それなのに・・・
「わかったはずだよね?」という前提で話を進め、できていないことに対して怒る。
これは無意識のコントロールです。
「わかるはず」「できるはず」という期待の押し付け
このタイプの人が無意識にやっているのは、
「自分のものさしで相手を測ること」です。
「自分の正しさ」を相手にも押し付けてしまう人の多くは、
・自分ができること
・自分が当たり前に理解できること
これらを、相手も同じようにできる・わかるはずだと思っています。
でも、人はそれぞれ
・理解のスピード
・得意、不得意
・背景となる経験
・わかろうとする意欲
これらが違います。
それを無視して「普通こうでしょ」「常識でしょ」と言い始めると、相手はこう感じます。
・怒られている
・責められている
・否定されている
・見下されている
・嫌な気分になる
たとえ、言っている側に「そのつもりがなくても」・・・です。
パワハラやモラハラでも、よくこんな場面を見かけますね🤔
本人が「自分の問題」に気づきにくい理由
「自分の中での正しさ」を基に動いている人ほど、
それを「個人的な自分の考え」ではなく・・・「当然のこと」「誰にとっても正しいこと」だと思い込んでいます。
厄介なのは、このタイプの人は
「人間関係がうまくいかない原因が自分にある」
という発想をほとんど持たないことです。
なぜなら、本人の中では一貫して・・・
・正しいことを言っている
・間違ったことはしていない
・むしろ相手のためを思っている
という「ストーリー」が完成しているから。
そのため、関係がこじれるたびに・・・
「相手が未熟」
「相手が理解力不足」
「話が通じない人だった」
と原因を外側に置き続けます。
そして、同じパターンが何度も繰り返されます。
人をコントロールしようとした瞬間、関係は壊れ始める
「自分の正しさの基準」を相手に当てはめ、
・こう考えるべき
・こうすべき
・こう感じるべき
・・・と無意識にコントロールしようとした瞬間、関係性はゆがみ始めます。
本来、人と人は
・相手がどう感じるか?
・相手がどう受け取るか?
・・・を、完全に管理することはできません。
それなのに、
「こう受け取るべき」
「こう感じるべき」
・・・と、無意識に誘導し始めた瞬間、相手は違和感を覚えます。
たとえ表面上や言葉では従っていても、心は離れていく・・・。
距離を取る、関わらなくなる、表面だけ合わせる。
本人が気づかぬうちに、関係は終わっていきます。
私も実際、今までの社会経験の中で・・・こんな状況を目の当たりにしたことが何度かあります。
会社の中では、モラハラ・パワハラ・セクハラとして問題が表面化しますが・・・
どのケースでも、「言った側」の人が開き直って・・・「言われた側」の人が泣き寝入りしたり、嫌な思いをすることがほとんどでした。
その理由は、やはり言った側の本人にとっては「正しい」と思える言動であり、
「それを相手がどう受け取るか?」という「相手側の受け取り方の自由」が視野に入らない。
どうすればよかったのか?
大切なのは、「自分の正しさ」を相手にも通そうとすることではありません。
自分の言ったことが・・・
・本当に伝わったか?
・相手はどう感じているか?
ここに意識を向け、相手側の反応を確認することが必要です。
無自覚な価値観の押し付けほど、人を傷つける
ここで、実際にあった二つのケースを紹介します。
【例1】「良かれと思って」頼まれてもいないのに、相手の人生へ口出し
幼稚園の頃からの幼馴染で、仲の良い4人組がいました。
結婚や出産など、人生のステージが変わっても交流は続いていましたが・・・ある日突然、Aさんは残りの3人から
「もう、あなたとは付き合えない」
と関係を断たれてしまいます。
Aさんにとっては完全に寝耳に水でした。
自分では、関係が壊れるようなことをした覚えがなかったから・・・。
しかし他の3人は、以前から違和感を抱いていました。
Aさんはいつも「良かれ」と思って、
・結婚
・子育
・仕事や生き方
これらについて、「自分の基準」を当然のように語り、相手の選択に口出しをしていたのです。
あるときAさんが放った一言が、3人にとっては決定的な地雷になりました。
「もう限界だ」
そう感じた3人は、Aさんと話し合うことすら選ばず、距離を置く決断をします。
長年続いた関係は、Aさんのたった一言で終わってしまいました。
その後もAさんは、
「相手の心がせまかった」
「正しいことを言っただけなのに」
と愚痴をこぼし続け、自分に原因があったことには気づいていません。
【例2】親しい人や家族だからこそ、口出しが止まらない
Bさんは、親しい人や家族に対して辛口になりがちなタイプでした。
姉妹仲も良く、信頼関係があると思っていましたが・・・ある頃から妹に距離を置かれるようになります。
Bさんは、なんか以前とは違うとは感じるものの・・・あまり気にしていませんでした。
妹にとって姉であるBさんは、もともと頼れる存在でした。
しかしあるとき、Bさんが「良かれと思って」妹の人生に踏み込み、言ってはならない一言を口にしてしまいます。
そこから関係は少しずつ冷え込み、疎遠になっていきました。
それでもBさんは、深刻には受け止めていませんでした。
その後、親の介護をめぐる問題が起こります。
実際に現場で対応しているのは妹でしたが、Bさんは「忙しい」「子供がいるから」「遠いから」という理由で実際の対応はすることないものの、「口出し」だけはたくさんしてきます。
・こうすべき
・それは間違っている
・そんな選択じゃ親がかわいそう
と、自分の基準で口出しを続け、こっちの話にはまるで耳を貸さない状態。
Bさんはその場にいないから知る由がないはずの日常の些細な出来事にまで干渉され、妹は次第に心を閉ざしていきました。
最終的に妹は、
「血のつながりはあっても、もう分かり合えない」と判断。
今では、以前のような関係は完全になくなりましたが、Bさんは「なぜそうなったのか?」は気づいていません。
それどころか、自分の価値観を押し付け、相手を思い通りに動かそうとする姿勢は今も変わっていません。
Bさんは過去にも、親しい友人を「言ってはならない一言」で失った経験があります。
それでもBさんの中では、「正しいことを言っただけ」という認識のままで、自分を省みることなく・・・「友人が悪い」という結論になっていました。
当ルームに相談に来られる方の多くは、
「自分はAさんやBさん側ではない」
「まさか自分が、と思う」
そう話されます。
しかし、詳しく話を聞いていくと・・・
無自覚のまま同じパターンに足を踏み入れているケースは少なくありません。
自分の正しさを疑わないことは、ときに危険です。
「良かれと思った」からこそ、指摘されると強く反発してしまう。
しかし、もし人間関係で
・同じようなトラブルが続く
・近しい人となぜか距離を置かれることが多い
・職場が変わっても、いつも同じようなパターンを繰り返す
そんな傾向があるなら、一度立ち止まってみてください。
「相手がどう感じるか?」を、自分は本当に尊重できていただろうか?
その問いを持てるかどうかが、関係性を変えるわかれ道になります。
「そんなつもりじゃなかった」が通用しない世界
このパターンは、日常的な人間関係だけの話ではありません。
パワハラ、セクハラ、モラハラと呼ばれる問題も、根っこは同じ。
加害側が、
・指導のつもりだった
・冗談のつもりだった
・距離を縮めたかっただけ
・当たり前のことを言ったつもりだった
たとえそう思っていたとしても・・・
相手が「怖い」「苦しい」「尊重されていない」と感じたなら、その時点で問題が発生します。
そこに、「そんなつもりじゃなかった」
・・・という言い分が入り込む余地はありません。
なぜなら、
相手がどう感じるかまでは、誰にもコントロールできないからです。
犯罪もまた「意図」ではなく「結果」で判断される
ちょっと極端な例ですが、犯罪も同じで・・・
たとえば、
・一時的に借りただけ
・返すつもりだった
・悪いことをしている意識はなかった
・傷つけるつもりはなかった
たとえそう思っていたとしても・・・
結果としてお金を不正に扱えば「横領」になるし、
人を傷つければ「暴行」や「傷害」になります。
法律の世界では、
「そんなつもりじゃなかった」
よりも・・・
・実際に何が起きたのか?
・それがどんな結果を生んだのか?
が重視されます。
人間関係も、本質的にはそれと似ています。
なぜ人は「意図」にしがみついてしまうのか?
「相手が傷ついた」「モラハラ、パワハラ、セクハラの問題になった」など・・・
何かが起こったとき、なぜ人は「そんなつもりじゃなかった」と言ってしまうのか?
答えは簡単、自分を悪者にしたくないから。
・善意だった
・それが正しいと思った
・相手のためだった
そう信じていれば、自分を守ることができます。
でもその守りが強くなるほど・・・
「相手の感じたこと」や「相手が受け取った現実」は、見えなくなっていきます。
ここで大切なのは、「悪者かどうか」ではありません。
大切なのは、
・「相手の感じた現実」を認められるか?
・自分の価値観を「個人的な考え」として、みんなに当てはまるものではないと考えられるか?
その姿勢です。
「そんなつもりじゃなかった」で終わらせるのか、
「そう感じさせてしまったのは事実なんだ・・・」と立ち止まれるのか。
その違いが、人間関係の未来を変えていきます。










