自分が目指すもの

日本人は肩書に弱い?

資格取得や何かを学ぶことで「肩書」がつき、自分が目指す何者かになれるのを夢見る✨・・・こんな様子をお見かけすることがあります。

自分を高めようと何かを学ぶこと自体は素晴らしいのですが、「学ぶだけ」の繰り返しで、「知識をインプットしただけ」ということも少なくありません。

日本人は特に「肩書」にこだわる人も多いですが・・・肩書って、何かの資格取得や認定を受けることで名乗ることができたり、会社でいうと役割を表すものであって、肩書=自分の価値ではないと私は常日頃から思っています。

会社ならなお顕著で・・・その会社を辞めたりその位から退けば、何の肩書もなくなりますし・・・。

しかし、肩書があると安心したり、肩書があることでまるで「すごい自分」になれたように錯覚するケースもよくあります。

「私は〇〇の資格と、△△の認定と、◇◇の検定と、□□の講座修了と、◎◎の活動許可持ってるんです」と、たくさんの資格や認定などがあるよということをおっしゃる方がいますが・・・「さらに今また新たな学びを始めてるんです」みたいな・・・。

なぜそんなに次から次へといろんなことを学ぶのか聞いてみると・・・自分を高めるためだったりお客様へ提供したいからだとおっしゃいます。

しかし実際は、学ぶだけ・知識インプットだけの状態だったり、いつまでも何かを学び続けて一向にお客様への提供を始めないというケースもよくあります。

これらは、いろんなところを次から次へ彷徨うジプシーなんて表現されたりします。

ジプシーになる理由

スピリチュアル好きな方でいうと、ジプシーは「学び」だけに限らず、占いやセッションジプシーもよくあります。

いずれにしてもジプシーになる理由はいくつかあると思いますが・・・たとえば、

・何かを受けたり知識を学んだりしても、そこでの経験から気づきを得ることができない

・自分が望む「答え」がそこでは見つからない

・もっと良いものが他にあるような気がする 

etc.

たとえ受けたり習うことでいったん満足したとしても・・・結局何らかの理由で満足しないという部分が大きいのかなと見てて感じます。

私が個人的に感じることですが・・・占いやセッションの場合、自分が望むようなことを言われなかった時に次々渡り歩くケースが多い印象です。

学びの場合は、「学ぶこと自体に満足」してしまい様々なことに気づけなかったり、肩書=自分の価値のように感じてしまったり、まだ何か足りない・もっと良いものがある気がすると思ってしまう、資格を重ねること=ステップアップに感じるのかと。

自分を認める

肩書があると安心したり自信がついたように感じるかもしれませんが・・・そもそも自分で自分を認めていれば肩書にこだわる必要もなくなります。肩書があっても構わないかもしれませんが、逆になくても構わないかと・・・。

私の周りに、過去に資格ハンターだった人がいますが・・・「今思うと、当時自分に自信がなくて。それらを取得することで自信がついたように思っていたけど・・・結局それは錯覚であり、根本的な問題解決にならなかった」と言っていたことがありました。

その方は取得した資格で転職したので、努力して自分でつかんだ素晴らしい次なるステップではありましたが・・そもそも資格を取ろうと思う動機となった本人の心の奥にある問題は解決できなかった・・・ということでした。

それに気づいてからは、資格ハンターと転職した仕事を辞め、必要最低限の知識をもとに自分で好きなことを仕事にすることにしました。

特に肩書もないし、雇われていたときの収入にはまだ追いつかないし、大変なこともたくさんあるけど・・・

好きな仕事で、自分で自由に考えて行動する。

たとえ誰に認められなかったとしても今は自分のことを認めているから、今までの人生の中で一番充実してると思えるし、本当の意味で「生きてる」感じがして楽しいと言っていました。

どう感じるかは人それぞれですが・・・自分が本当に目指しているものやなりたいのはどんな状態か?

改めて考えてみると、「何者でもない自分」も良いと思えるかもしれません🙂

  • URLをコピーしました!